「人と人との助け合い精神」で
楽しく大きな輪を創り上げていきたい
対象地区 富士見4、5丁目
設立時期 1982年(昭和57年)4月
1982年(昭和57年)5月、富士見自治会が誕生。
それまでの富士見地域は堀江南部・第4区より分離し、浦安町人口集中地区からもっとも遠く離れた旧江戸川の河口に位置していました。
同年10月、現・富士見自治会エリアは堀江南部の町名から富士見4・5丁目に改称されて、ようやく富士見は自治会として認知され市民権をえました。
1984年(昭和59年)3月、富士見自治会館が竣工。生活排水を流していた開渠のドブ川も「緑あふれる海浜都市」をスローガンに「しおかぜ緑道」に変身することを目標に工事が始まりました。
1990年(平成2年)、JR京葉線が開通し、土地取引価格も大幅に高騰しました。
2010年(平成22年)、年輩の夜間パトロールは徒歩から車による青色パトカーに変更されました。集団資源ゴミ回収事業団体として市に登録、防犯基金事業を開始しました。
富士見自治会を取り巻く環境は地下鉄東西線・JR京葉線・湾岸高速357の開通によって人・もののアクセスは飛躍的に改善し加えて人口も鰻のぼりに増加しました。
また、TDLの開園によって園内はもとより、富士見地域を含めての漁師町のイメージは完全に払拭されました。
富士見地区はこのように急速に変化した環境に包まれていますが、浦安言葉で地っ子(浦安生まれで浦安育ちの人)と移植(よその土地から移ってきた人)が混在している地域です。合併した企業でも人間同士の心の融和が熟成されるまで30年かかると言われています。老若男女に故郷意識が定着するにはもう少し時間が必要と思われますが、地っ子と移植とが根気よく、互いに助け合って新しい故郷を創り上げていく努力が一番必要である気がしてなりません。
東日本大震災の3.11から芽生えてきた「人と人との助け合い」精神で自治会中心に楽しく大きな輪を創り上げていきたいと思います。
「家族を守り、隣人と助け合い、地域を大切にしよう」をモットーに輪を広げたいと思います。